2010年2月12日金曜日

残酷な風景 <ミッション>悲劇の街へ


シリアに来た目的の一つがゴラン高原。
クネイトラは1960年代から70年代にかけて、シリアとイスラエルの間に起こった
戦争の遺産が残されている場所で、現在はイスラエル軍が撤退しシリアの領土扱いになっている。

シリア政府は、イスラエル軍が行った戦争行為を知らしめるために、
当時の破壊されたままの街の姿を保存(放置)している。
もちろんイスラエル政府は、シリア政府のプロパガンダだとして非難。
現在このエリアは、UNDOFという国連の監視軍が管理している。

こういった戦争の歴史について生で触れらるというのも、
旅ならではの経験だと思う。

まずはダマスカス市内にあるオフィスで入境許可を取る。
朝9時に行って簡単にもらえる。
そこからバスを乗り継いでクネイトラへ。

到着するとエリアに入る鉄のゲートで許可証を確認。
そして常駐しているガイドが同行してツアーが始まる。

検問所があり、ここからガイドが同行する。

目の前に広がっていたのは攻撃で破壊された住居の数々。

ガイド曰く、イスラエル軍が打ち込んだロケット弾で破壊されたという。



このゴラン高原を巡る戦争が起こったのは私が生まれる前。
当時どのような戦闘が行われたのか、詳細はわからないし、
30年以上の時間を経て、互いの国の主張も違う中、
なにか確信じみた話しは全く出来ないが、この破壊の状況をみると、
ただただ、戦争の恐ろしさだけは感じる事が出来る。


病院だった場所。


病院にも砲撃が加えられたという。

さらに兵士が病院に突入して激しい銃撃を行い、一般市民を殺害したと話す。

教会の中にも兵士が来て破壊したという。

ここは破壊なのか、30年放置されて老朽化したのかの区別はつかなかった。





シリア人のガイドなので、一方的にイスラエル軍の暴虐ぶりを誇張して話してくる。
このクネイトラのエリアは、イスラエルが占領していた時もあったが、
それをシリア軍が奪い返した事実もある。

つまり両者共にこの地で激しい銃撃戦を行ったのだから、
本当にこの破壊活動がイスラエル軍だけが行った事なのかどうかは分からないとも感じた。

平和ボケした一人の日本人観光客としては、
戦争なんて「ケンカ両成敗」で、どっちも互いに悪い、
どっちか一方だけが完全に悪者なんてあり得ないんではないか。。。
とも考えているので、シリア人ガイドの話しを鵜呑みには出来なかった。

ただ、一方的な主張であっても、このような場所があることで、
戦争の悲惨さを伝えて、抑止する事にも役立つのかもしれないとも感じた。




こんな寂しい場所は初めてだ。

一般の民家もぼろぼろに破壊されていた。

戦争を始めるのは国であって、巻込まれるのは何の罪も無い一般市民。
ぼろぼろにされた家を見て、かつてここで住んでいた人たちは、
この姿を見て、何を思っているのだろう。

もし彼らにとって終わらせたい過去だったとしても、
この光景が残されている限り、彼らの戦争は終わらないのかも知れない。

歩きながらそんなことを考えると、
なんと残酷な風景なんだろうと思った。


Photo Gallery:2010/02/11 Quneitra/Syria


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