2013年3月30日土曜日

ワールドカップ。大ミッション完全遂行!振り返り



mixiから転記

南アフリカワールドカップ大会期間中に、凶悪都市ヨハネスブルグにて、
一ヶ月間のシェアハウスを運営していた。
多くの仲間が出来た素晴らしい家となった。

あんな事がもう一回出来るのだろうか?
ブラジルワールドカップが迫ってくる中、ちょっと振り返ってみる。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

7月11日。 
決勝戦。 

旅を始めた1年2ヶ月前にW杯観戦を思いついた時には、 
「まぁ日本戦くらい見れれば良いなぁ~」 
くらいの気持ちだった。 

去年の12月、吹雪のグルジアはテラビの宿。 
初めてFIFAのサイトを開き、チケットの値段を見たときには、 
正直ビビったし、あきれていた。 
決勝戦のチケット、カテゴリー1=900ドル。 
「ばっかじゃないの」 
民泊した部屋で日本語で叫んでいた。 

日本のTST3(予選のみ3試合)カテゴリー1=540ドル 
購入のボタンをクリックしたとき、背筋がふるえたのを覚えている。 

で、、、 


ふたを開けてみると、見事までにW杯に舞い上がっていた自分。 
決勝戦のチケットはスタジアム前で探す。 
前々日から探してみたものの、当日になっても相場は1枚1000ドル。 
うひゃぁ~。。。 
3LDKの家賃やね。。。 

あれこれ聞き回り、若いオーストラリアサポーターからカテゴリー3(定価400ドル)を800ドルで購入。 
この時、「ちょっとお得な買い物をした」って思ってたくらい脳みそがイカレてた。 
日本円で7万円くらい。 
オイラが10年前に住んでた新宿のワンルームの家賃でした。 


試合はW杯史上に名を残すであろう、初優勝を賭けた戦い。 
前半は少々退屈な所もあったけど、スペインの初優勝という歴史的な瞬間に立ち会えて感動。 
(個人的にはオランダに是非とも勝って欲しかったけど…。あぁ後5分耐えたらPKだったのに…) 


W杯決勝。 
人種も国籍も関係なく、勝者の証人となり、それを称える。 
これは、体験しないと分からない特別な感情があると思った。 
800ドルは痛いけど、それに見合う特別な時間を得たんだと胸を張って言える。 
(まぁ正直言うと、定価なりの価値って所ですが…) 




さて、、、 

個人的なミッションとしては、決勝戦ではなくヨハネスでの滞在先確保だった。 

約1年に渡って色んな旅先で旅人に計画を話し、 
自分を鼓舞して決意を固め、 
アフリカ南下のルートを後回しにしてまで開幕1ヶ月前のヨハネスに入り、 
約2週間かけて家を探し回り、 
日本でもありえないくらいの大金を見知らぬ南ア人に事前に納め、 
メールだけでなく一時帰国した時には、新幹線代を払ってまでシェア出来る人に説明したり。 



実際に生活が始まると… 
毎日のように空港やショッピングセンターの送り迎え、 
日々の食材の買い物、 
かかった生活費の精算、当分割、 
ベッドの割り振り、 
車の段取り、 
チケットの手配、 
急場の両替… 

毎日の要に人が増えたり減ったりの繰り返し。 
日本代表が負けるまでは、観光など一切できず。 

とにかく、作りたかったのは 
「当たり前の価格で、みんなで楽しく安全に過ごしながらの応援滞在」 

振り返ってみると、自分の理想にほぼ近い形が実現できたと感じている。 

ただ、本当に滞在してくれたみんなに支えられて、手伝ってもらって、暖かい理解をもらっての結果だった。 

頭が下がる思いで一杯です。 

1年越しの計画に乗ってくれた旅人たちの協力が本当に助かった。 



毎日のように料理を担当し、食材の分量まで考えてくれたエイタロウ君。 

誰よりも早く起きてご飯を炊いててくれてたユウジ君。 

気がつけば洗い物や掃除をしてくれてたスギ君。 

あり合わせの調味料でいつも美味しい漬け物を作り上げたアキ君、 

明るいトークで日本から来た人たちを盛り上げてくれたトモヤ君、 

みんながいじりやすいキャラだったアラタ君w 
(日々の生活での細かい気配り、ありがとう!) 

出発前から計画をしっかり練ってきて、最終的にオレがいない間の送迎とかまで手伝ってくれたショウヘイ君、 

車代を多くかぶってくれた上、毎日のように運転してくれたリーさん、 
(ダーバンのレストランは楽しかったなぁ) 

ルステンバーグまで一緒に車でつきあってくれたプラーヴィ君、 
(帰りの運転ありがとう!) 

旅の予定を変えてまで駆けつけてくれたイチロー&リエ夫妻、 

エイタロウ君が抜けた後、食事を担当してくれたホクト君、ヒトミン、 

女性3人組で家に彩りを添えてくれたツルさん、サトーさん、イトーさん。 

なんだかんだ、一番とけ込んでたアクちゃん、 

日本の物資をたくさん持ってきてくれたブンデス君、 

チケット確保にあれこれ力をくれたIRさん、 

地味に食材とかを買い足してくれてたGOさん、 

僕が家を空ける間に、取り仕切ってくれた甲冑隊長ツンさん、ヨウヘイさん、ジュンコさん、 

じれっタイガーさん、トモノリさん、イシマルさん、アサカワさん、ヤマグチさん。 








僕の力不足で多くの人にご迷惑をかけたと思います。 
皆さんの力添え、ご理解があったからこそ実現できた家だったと思います。 

皆さんとは特別な時間を共有した仲間だと感じています。 
生涯忘れられない素晴らしい経験と思い出をありがとうございました! 
またどこかで再会できたなら、思い出話を肴に乾杯させてください!! 






で、、、自分の日記なんでちょっとした愚痴も… 

やっぱり金銭的にはキツかった~。 


滞在してくれる人と自分は出来る限り対等なシェアをしたいと思って設定した金額。 
最終的には、強欲な南アオーナーにやられる形に…。 

僕のこの1ヶ月の出費は、車代込みで20万ほどになってしまった…。。。 

出発点からして、失敗気味だったのは否めない。 
長期滞在を約束していた人のドタキャンが数名。 
その分のツケがしっかり回ってきた形。 


まぁ、そもそも儲けなどは考えていなかったけど、保険もかけてなかった。 

旅行会社やゲストハウスをしたい訳では無かったので、キャンセル料なんて考えてなかったし、全てが終わった今更請求するのも違うと思うから何とも出来ない。 

正直同じ事は2回は出来ないなとも思った。 



「危険だ」っていう前評判から、この家を避けた人もいた。 
それは僕の説明不足かもしれない。 

今だから言えるけど、確保した家があったGermistonというエリアは、
日本人コミュニティから言わせると「危険エリア」だったとの事。 
それは事前に認識していた。 
(実際に歩き回ってるので) 

でも、旅の経験から「木を隠すなら森」というのがあって、実際ふたを開けてみると、置き引きとかスリなんかの被害は、事前に「安全」と言われていたサントン地区に集中していた。 

稼ぎたい連中が客が多い所に集まるのは自明の理。 

僕の家では、普通の南ア人が当たり前に生活している環境で過ごせたと思う。 
(タクシーには何回かやられてるけど、良いドライバーも捕まえてた) 




難しいね。。。 
情報って恐ろしいね。。。 
実際に行った人の話よりも、ずっと壁の中から出ない、電車もバスも乗ったことのない現地の人達(超ブルジョワで滞在する大使館員や大企業職員、旅行代理店など)の話しの方が信用される国民なんだから。 




南アW杯。 
実際にここまで来た人たちは、この国をどう捉えたんだろう? 


僕の感想は、 
「さすがアフリカナンバーワンを自称する先進国だ」との評価です。 


本当に生涯忘れられない時間を過ごせたヨハネスブルグ。 
また来る機会なんてあるんだろうか?? 

とりあえず、旅2年目スタートの大ミッション、 
コンプリート。 


今夜から旅モード復活です。





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