中東のパリ。との異名を持つレバノンのベイルートに到着。
地中海に面した美しい街だが、過去から繰り返される内戦を抱え、
街角のあちこちに戦闘の傷跡も見つけられる。
光と影。そんな陰影の濃い街だった。
「難民として生まれ、難民として死んで行く。ここではそれが今も続いている。」
シャティーラ、パレスチナ難民キャンプのファタハのオフィスで聞かされた。
第一次中東戦争が起きて60年以上。
イスラエル建国の後、生まれたこの難民キャンプもおよそ60年の歴史を持ち、
今やキャンプというよりは一つの街、もしくはスラムといった様相だ。
この街に住むパレスチナ難民はすでに第4世代が生まれている。
難民として生まれ、難民として死んで行った多くのパレスチナ人がいた。
ここだけではなく、中東各地に散らばって行ったパレスチナ難民は400万人以上。
街であう人々は快く僕たち旅人を迎えてくれて、みな一様に明るく暖かい。
暗い歴史、解決への道筋が見えない現状の中でも力を合わせて、
懸命に与えられた宿命を生きている。
ただ、一言二言言葉を交わしただけでも、なにか自分の方が勇気づけられた気がした。
「多くの人が我々の問題について真剣に考えてくれている。
しかし、同じ様に多くの人がすぐに我々の問題を忘れてしまう。
だから私たちは声を上げ続けるんだ」
ファタハのメンバーはそう語った。
日々膨大な情報の渦の中に生きていると、どれだけ重要な問題でも、
のど元過ぎれば、いや、ちょっと目を動かしただけでも、もうその事を忘れてしまう。
恵まれた国に生まれ、旅人として半ば興味本位で難民キャンプ訪れている自分に恥じ入った。
案内されたのは、1982年に内戦で大虐殺が行われた場所。
2000人もの一般市民が数時間で虐殺された。
それもレバノンのキリスト教派によって。
宗教、政治、民族、経済。。。
様々なパワーバランスが複雑に絡み合う、その一番こんがらがった所では、
なんの罪も無い人たちが日々犠牲になっている。
中東のパリとも歌われるベイルートの街角には、
いつ消えるとも分からない長い影が今の落ち続けている。
世界中に問題は山積みだ。
それらすべてについて意識を持ち続けて生きる事は、特に日本人にとっては雲をつかむ様な事かもしれない。
だからといって見ないというのは、犠牲者を増やす事にに加担している側なのかもしれない。
何か一つでいい。
世界が抱える矛盾や悲劇について、考えて事行きたい。
Photo Gallery:2010/01/22~Beirut/Lebanon
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