慰霊式典1週間前に成都入りして、都江堰市に行ったり現地の友人にあれこれ調べてもらったりしたが、慰霊式典に参加できるのはかなり厳しいようだった。
汶川の数10キロ手前で、一般人はシャットアウト。
記念式典には汶川市民やメディアは入れるが、それ以外には許可証を出さないということだった。
無駄足になるなら…っと断念。テレビの日となる。
式典は山が崩れ町全体が飲み込まれた状態を一望できる場所で行われていた。
この日の数日前、震災後初めて、元汶川市民が自宅に帰ることを許されニュースとなっていた。
つまり汶川市民はこの1年間、全く自宅に帰れず瓦礫を掘り返す事すら出来ていなかったという事。
この時のニュースではCCTVですら町の入り口からの中継になっていて、かなり厳しい規制が敷かれていた事が分かる。
記念式典は、あれこれ偉そうな人がスピーチ、献花、黙祷など淡々と進められた。
僕は中国語を全く解さないのでよく分からなかったが、政府主催で被災者の顔が見えないとても冷ややかな式典に見て取れた。
我が町、神戸では震災の冬からルミナリエが始まり、1.17の記念式典(記念という言葉は嫌いだが)は、市民、被災者が主役となって、今も毎年献灯が行われている。
傷を負ったのは壇上でスピーチするお前ではない。
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